News
Profile
Career
Discography
Gallery
・Scenery
・Photo
Koto
・二十絃箏
・十三絃箏
・十七絃箏
・おまけ
Essay
Diary
Link
Mail
to English page
to Italian page

designed by Gayo Nakagaki
コトの小話

「女楽」〜源氏物語「若菜」より

源氏が女楽(おんながく)〜女ばかりの合奏〜を計画した。みなが集まり練習をする。明石の上は琵琶、紫の上は和琴、明石女御は箏のコト、女三宮は琴のコト、女三宮はまだ手習い中であるので、源氏は琴のコトの正確な調子を合わせるために夕霧を呼ぶ。
合奏が始まる。

明石の上の琵琶は、神々しい手法で音は澄んでいる
紫の上の和琴は、親しみやすく愛敬のある風音
明石女御の箏は、可愛らしく優美
女三宮の琴は、手習い中なのでたどたどしい
源氏・夕霧も、時々拍子をとってうたった

その源氏の声も、若い頃より太く、重々しくなった。
このあと、彼らの中で様々な音楽論が交わされた。

「絃楽器、笛の音は、春秋どちらがよく聞こえるか・・・・」
「七絃琴について・・・・」
「源氏の音楽の後継者・・・・」

なんと優雅な光景なのだろうか。
楽器を演奏しているそのもののことではなく、現代人に忘れがちな「心のゆとり」、そういうものを感じます。

紫の上の泣き所

『紫の上』
源氏の正妻格、理想の女性として彼女は描かれてる
その彼女にも泣き所が2点あったらしい。
1.子供ができなかった事
2.琴のコト(七絃琴)が弾けない事

実際にこの源氏物語が書かれていた頃は琴(キン)のコトはすたれていたが、源氏物語の時代設定はそれ以前であったため、琴のコトがよく登場してくる。

源氏が次々と女性に接近する・・・・・・
心の中は、琴のコトを上手に弾いてくれるのでは・・・・・・
という期待があったのかもしれない。
とすると、琴のコトを弾けない紫の上は、常に脅かされつづけていた、ということになるが。
はてさて真相は?

「コト」の弾き手は、女?男?

「箏は女性」が弾くもの、という社会通念は、古くは古代の琴にまで及んでいる。次のような話もある。
「ある夏の夜、爪音優しく掻き鳴らされている箏の音を聴きどんな美人かと思い、想像をしながら垣根越しに覗いてみたら、日頃学校で一番恐いひげもしゃの先生がTシャツ一枚になって弾いていたので、驚きと失望で口がきけなかった」(ある生徒談)
また、古代の話では、
「万葉集」巻第七の「和琴」の歌
琴取れば嘆き先立つけだしくも
琴の下樋(したび)に嬬(つま)や隠(こも)れる
これの解釈が
「もしや琴の下樋に(これを弾いていた)妻が隠れているのだろうか」
となっている。ところが琴を弾いている埴輪で、女性の像はほとんどないといっても過言ではない。
また、同じ「万葉集」巻第五の歌
言問(ことと)はぬ木にもありともわが夫子(せこ)が
手馴(たな)れの御琴(みこと)地(つち)に置かめやも
でも、「東歌」の「♪わが夫子がけさの琴手は・・・・」の歌でも、琴の弾き手は「背子(夫子)」である。
したがって、前述の「和琴」の歌の妻というのは、
「琴を弾いていた妻」ではなく
「そばで歌っていた妻」又は「聴いてくれた妻」と解釈すべきではないだろうか

男性がKotoを演奏するのは、珍しいことではなく、逆にあたりまえのことだったのではないでしょうか?



私の失敗談
ない?
私がまだ大学生だった頃の話です。
横浜の、とある小学校で学校公演の仕事がありました。
朝早く到着しました(もともと早い仕事です)。リハーサルもするのですぐに準備にかかりました。
準備とは、
→ 箏をケースから出す
→ 箏に柱(じ)をたてる
→ 一・ニ・三・四・・・・・

13個目をたて終ったところでなぜか柱がなくなった(箏は 普通13絃なんです)。

「あれ?」
(糸はまだあるのに・・・)
(?)
(なぜ?)
(・・・・・・・?)
(アッ!?)
  ・
  ・
(足らない!)

「顔面が蒼白になる」、「血の気がさぁーっと引く」、まさにそういう事態でした。
そうなんです。この仕事は、二十絃箏のお仕事だったのです。柱は同じ物を使っていたので、13個しか持ってきてなくて、結果8個入れ忘れてたのでした
  ・
  ・
その後どうしたか?
私のライブのときにでも、こっそりとお尋ねください。

ないない?

またまた 学校公演ネタです(実は多い)。
この小学校は、低学年と高学年にわかれて鑑賞会がありました。そうです。違うプログラムで二回の演奏をするのです。
はじめ 低学年でした。演奏も無事終わり、休憩後、生徒入れ替えで高学年に移りました。

(ここで豆知識)
休憩の時に、高学年用の楽譜(ほとんど暗譜はしていたのだけど)を 順番に並び替えておきました。(体育館のステージの横のピアノの上で・・)低学年と同じ曲もあったので、それは抜いて、高学年用の曲は中に入れて綺麗に順番に並べました。

さて高学年公演が始まります。

***** パチパチパチパチ *****
***** パチパチパチパチ *****
***** パチパチパチパチ *****
・・・(拍手の音です)・・・
さぁっ、一曲目!
と思ったら、なぜか 尺八の人が「お江戸日本橋」(2♭)を吹き始める。

「?」-----------(私の譜面台の上には「犬のおまわりさん」が・・・・・・)
「??」(調絃(Tuning)も 2#の 「犬の・・・」用にしてある・・・)
「???」 (・・・・・・)
「・・・・・・・・?」(・・・)
(アッ!?)
(ンッ?)
(犬のポリスは、さっき低学年でやったし・・・)
(でも楽譜は休憩のときに、並び替えて確認したし・・・)
  ・
  ・
尺八がSoloで吹いてる間、一番前にいた私は、「ゴソゴソ」「ペラペラ」 「汗汗」と目の前の楽譜をめくって確認にはしる。
(ガーーーン!)
(ない!)
(後半に使う楽譜が一枚もない!)
(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

おっちょこちょいの私は、せっかく綺麗に並び替えた楽譜を、しっかりとPianoの上に置いてきたのです。そして、その横にあった今日はもう使わない楽譜を手にもって、のこのこと 舞台に出ていってしまったのです。本当に見事に後半使う予定だった曲は一つもありませんでした。

ここは?

今度は、遠征での話。これも20代前半の出来事。
まだ寒い、ある年の2月でした。
総勢22名の名古屋・犬山での公演(日帰り)でした。新幹線は、9:00東京発のひかりです。 メンバーの中で一番若かった私は、早起きしました。 しかもウォーミングアップ付き!。朝の4:00に起きて、眠気覚ましに練習をちょこっとしてたんです。 そして7:00に家に帰って楽譜やら荷物整理して8:00に家をでました。
(この余裕が今思うと・・・)

さて、ここからが本題。
新宿についたのが 8:15です。ここから東京まで(JR中央線で)20分。

(余裕だね!)
と思い、電車を一本見送って次のにのった私。なんとなんと、平日のラッシュなのに座れたのであった。
(Lucky!)

さてここで、予備知識。

新宿 → 四谷 → お茶の水 → 神田 → 東京(終点)=JR中央線

座ったとたんに眠りにおちた私。
ハタッ!と目を覚まして 「こ、ここは何処?」っと思ったら、丁度、四ッ谷を出たところでした。

(ホッ!)
(今日は仕事だし、行きだから 寝るのやめよう)
と決めて、ごそごそ新聞を取り出しました。こういうときしか ゆっくり読めないし、まぁ新幹線でも寝れるし・・・。
などと考えているうちに お茶の水に到着しました。いえ、到着したはず・・・・・・・・・・・・でした。

けれど、そこは、・・・。私の庭となっている駅でした。(ただ通るだけだけど)

(?なぜ ここに・・・)
(え?)
(ん?)
   ・
   ・
「やばっ!まじっ!? 」

そうなんです。ここは 新宿だったのです。そんなことより 時間!

9:18 - 9:18 - 9:18 - 9:18 - 9:18
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
はい お馬鹿な私は、東京駅まで行ってそのまま折り返してきたのです。だれも起こしてくれなかった。
(寝ててよかった・・)>よ、よくない!

その後のことは、想像にお任せします。