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designed by Gayo Nakagaki
二十絃箏
1969年(昭和44年)、地歌箏曲演奏家・野坂恵子に作曲家・三木稔が協力して、生まれた。 2年後の1971年にその絃数は21絃に定着したが、いまだに二十絃箏と称されている。 中国をはじめ、アジア各国の箏が期せずして21絃を主流にしているため、作品の互換性からいっても今後この絃数を想定した創作が国際的に基本になると思われる。
全長180cm前後、最大幅38cm前後で主に現代音楽に使用される。

従来の十三絃箏との大きな違いは、「七音階標準」「音量のアップ」「音色の変化」などが挙げられる。

・「七音階標準」

自由調絃(フリーチューニング)が、Kotoの特徴でもあるわけだが、基本の調絃として、十三絃箏は固定されていない五音階である。 世界の標準楽譜である五線譜での「ソ」の音を出したいときを想定してみよう。 固定七音階標準の二十絃箏では、向こう側から5番目、12番目、19番目が「ソ」の音になる。 それに対して、十三絃箏では、調絃の自由度が大きい分、その確定が難しくなる。
二十絃箏の一番の特徴としては、調絃の自由度を少なくした分、七音階にほぼ固定することで、五線譜というものに即対応できる楽器になったところであろう。
五線譜に即対応できるということは、現代のどの音楽の現場にいっても、無理なく共通言語で会話ができるのである。そう、まさにKotoの世界が革命的に広がったのだ。
もちろん、十三絃箏もドレミの七音階にすることはもちろんできる。 そうした場合は、絃の数の多さで、二十絃箏のほうが音域が広くなり、幅が広がるのである。
この考え方をすすめていくと、絃の数はどんどん増えていってしまう。 その増えていくであろうKotoの中から、どれを選択するかは、演奏者によるところが大きいのではなかろうか。
そして、七音階にしたもう一つの利点は、ない音を作る作業が減ったことである。
12音階標準の音楽の世界において、ピアノを思い浮かべてみると、十三絃箏と二十絃箏の違いがわかりやすくなると思う。 黒鍵にあたるのが十三絃箏(ない音が7個)、白鍵にあたるのが二十絃箏(ない音が5個)。 たった2つの音の違いなのだが、この2つの増えた音のおかげで、左手の強制作業が減り、左手で演奏もでき、左手で効果も付加できる余裕が生まれるのである。 曲を聴いてみると、ハープに近づいた印象を持つ方も多いのではないでしょうか?まさにそこが、二十絃箏の特徴の一つなのです。

・「音量のアップ」

もともとは、オーケストラにも負けないような音を出したい、そういう思いから生まれた楽器だとか。低い音を出す絃はより太く、高い音を出す絃はより細く。 7種類以上の太さの絃を張り分けているのです。より大きな音量を得るために。 構造上もいろいろと工夫されているのであろう。これはKoto屋の企業秘密にあたるのか。 現代は、マイクの発達により、音量は気にしなくてもよくなってきているが、演奏者としては、生の音と生の音でのぶつかりを楽しみたいという想いが強いので、これはうれしい改良の一つです。 音量の幅が増大するということは、自分の表現をより細やかに伝えることができるのではないだろうか。

・「音色の変化」

音量のアップに連動してしまうことなのだけれど、絃を張る力=張力が、十三絃箏に比べると強い。 これはそれぞれの演奏者の好みによるところが大きいことは承知しているが、緩く張った二十絃箏だと、私の音はまずでない。 かといって、強く張りすぎるのも、また私の音はでない。 楽器ごとにも音色は違うので、一概にはいいにくいが、張力が強くなった分、絃の質が金属に近くなって、音色が硬質化してしまうのである。 その音色によってプラス面もあれば、マイナス面も確かにある。 プラス面をいってしまえば、Kotoの音色のイメージが、明るくなり、現代的な音色がします。マイナス面は、古きよきKotoの音が影を潜めることかな。 そういう両面を理解したうえで、両方のKotoを使い分けることができるとよいですね。
二十絃なのに21本?
もともと20本の絃がなぜ21本になったのか、その理由はこうである。
「竜田の曲(たつたのきょく)」(三木稔作曲)の冒頭に 連続するすくい爪がでてくる。 連続するすくい爪は、親指につけた爪で絃を弾き、隣の絃(向こうの絃)に爪を 当てて止め、戻して爪の裏で元の絃をすくう。 第一絃(一番向こうの絃)での連続は、すくうための「隣の絃」がなか ったので、代わりに槽の上面(甲)に当てつづけることになり、まだ一面し かなかった本番用の楽器の甲が傷だらけになってしまった。
しかたなく、当てるための絃を一本足し零絃と称すことになった。これが2年後の1971年のことである。
せっかく増やした絃をただの当て絃とするのは、もったいない。どうせなら・・・音に使ってしまおう。
以後、二十絃箏はすべて21の絃を備えるようになる。現在、多くの作曲家がたくさんの作品を21の絃を対象として書いている。
絃の数え方は、座ったむこうがわから、0(零絃),1(第一絃),2(第二絃),3(第三絃),...... と数えます。だから、21本あっても、絃の呼び方は20、20絃箏なのです。
なぜ二十絃箏なのか?
19歳のときに、二十絃箏というものを知った。あるレコードを聴かせてもらったのだ。 その曲は、Kotoの音色のようであり、ピアノの音色のようであり、そしてまた、古典にはみられない演奏方法であった。
「これは、Koto?」
と、私が尋ねた位の感動が、そこにはあった。 その曲が、三木稔作曲、野坂恵子演奏の「華やぎ」という曲である。
二十絃箏人生のスタートは、この「感動」からなのだ。
曲というソフトの面の充実を、三木稔をはじめ、他の作曲家の方々がしてくれたおかげで、ソフトはそれなりに充実していたのも原因の一つであろう。 ソフト(曲)ありきのハード(Koto)なのだなと改めてここで実感した。
この新しいKotoを使用していくにつれ、感じることがある。それは、「七音階標準調律」をしているので、どの現場で五線譜を渡されても、すぐに演奏できることである。 そのためにも、二十絃箏を演奏するときは、なるべく音符の下に糸譜(Kotoの糸番号を書いた譜面)をふらないようにしている。 この汎用性が、私を二十絃箏に深く引き込んだ一つの要因ではなかろうか。
現代音楽を経験し、いろいろな現場を経て、現在は、オリジナルを中心とした活動をしている。それもこれも、この二十絃箏と共に通ってきた道であり、その結果が現在の活動なのである。 そしてこれからも、この楽器と共に活動の場を広げていこうと思っている。
もうひとつ、どうしてもいっておきたいことがある。
二十絃箏を購入し、1年間、「華やぎ」を含む5曲を練習して、野坂恵子のレッスンを受けた。そのときはもうただただ緊張してしまっていた自分がいた。今思えば懐かしい思い出である。 そのときにいわれた言葉を、私は今でも心に刻んでいる。
「二十絃箏は自由な箏だから、自分の思うように演奏すればいいの」
と。この言葉が私の支えになり、逆境に落ちても耐えれた、そして現在の自由な活動の礎になったことは間違いないであろう。
蛇足ではあるが、この楽器が誕生した1969年に私もこの世に生を受けている。これもなにかの縁なのではないだろうか。