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designed by Gayo Nakagaki
十三絃箏
コト?
古くは、絃(弦)楽器を総称して「コト」といった。和琴(わごん)・琴(きん)のコト・箏(そう)のコト・琵琶(びわ)のコトなど鎌倉時代あたりから、箏のコト(十三絃)が琴のコトや、和琴を圧倒して使用されるようになり、「コト」といえば箏のコトの事を指すようになる。
琴のコト:ギターの様なフレットがついている
一絃琴(須磨琴)・二絃琴(八雲琴)・大正琴
箏のコト:柱(じ)を用いる
楽箏・箏(俗箏)(十三絃箏)・十七絃箏・二十絃箏・三十絃箏
楽器ではなく、音楽を指す場合は「箏曲(そうきょく)」という。
和琴:古墳時代からある楽器。
かつては「やまと(倭)ごと」とよばれ「あずま(東・吾妻)ごと」の別称もあった
箏という楽器は奈良時代以降に日本に輸入されたので、柱の有無に関わらず琴という字をあてている。
琵琶のコト:琵琶として独自に発展していった
箏の歴史
7、8世紀(奈良時代)に中国から唐楽(とうがく)の楽器として「楽箏(がくそう)」が輸入された時から始まる。「楽箏」はそのままの姿で現在も雅楽(ががく)で使われているが、16世紀(室町時代)に雅楽の合奏の中から「楽箏」だけをとりだして歌曲の伴奏楽器として、公家・僧侶の間で盛んになった(筑紫流箏曲=「筑箏(ちくそう)」)17世紀(江戸時代)に入り、八橋検校(やつはし-けんぎょう)が当道制度(視覚障害者保護制度)に取り入れ、「俗箏(ぞくそう)」として位置づけをした。
その結果、箏曲人口が増え、京都で生田流(いくたりゅう)、大阪で継山流、その後江戸で山田流が誕生した。
箏は盲人音楽家によって指導される上流階級の婦女子の教養となった。また、三味線音楽、尺八との合奏による結びつきもうまれた。明治にはいり、政府により当道制度が廃止され、箏曲は一般庶民の音楽になった。欧米文化の輸入により、「箏曲」を含め、それまであった日本の音楽は「邦楽」とよばれるようになった 大正、昭和前期に宮城道雄による和洋融合音楽を図った音楽が多数生まれた。現代では、洋楽出身の作曲家も多数邦楽作品を生み出すようになった。
とくに明治以前の曲を古典と呼ぶ。
箏の構造
そう(本体)
本体の材料として、桐が最も多く使われている。全長180cmの甲羅状の表板に対して、ほぼ平らな裏板が接着され、両小口もふさがれ、内部は空洞とされる。表板は、楽箏と同様に弾く側を頭部、絃処理をされる側を尾部と呼ぶ。箏を竜体に見立てての部分名称であり、その多くは楽箏での名称を踏襲している。頭部に絃孔(竜眼(りゅうがん))から出てきた絃をのせるブリッジ状の竜角(りゅうかく)があり、尾部にも同様の雲角(うんかく)がある。これらは絃が強い力でかかるため、とくに堅い材料である唐木(こうき)が使われる。
絃(げん)
絃の材料は伝統的に絹糸が使われてきた。絹糸は余韻が長く響くので、演奏及び調絃のときのメリットが大きいが、切れやすいのが難点である。近年、絹糸にかわり、ナイロン糸、テトロン糸がよく使われるようになってきた。これらの絃は、切れにくく明確な音質である点が特徴である。
太さも様々に変化してきた。箏の絃は17〜19匁(13本分を合わせた重さ→一本はその1/13)のもの一種類であるが、十七絃箏は音域によって30〜80匁の7〜11種類の太さ、二十絃は17.5〜45匁で平均7種の太さの絃を使い分けている。
箏柱(ことじ)
和琴などでは木の枝の叉にあたる部分を使用していたが、紫檀(したん)を正式とするようになり、近年では象牙を最高としている。象牙の代用として、プラスチック、鯨骨、セラミックなどが使われている。
各絃に高さ5.7cm前後の箏柱を立てて、調絃をする。隣の柱(じ)に邪魔されて正しい音程を作れないときなどに、小柱(こじ)と呼ばれる高さ4.7cm前後のものも使われる。さらに小さい小々柱(ここじ)孫柱(まごじ)(勝手に呼んでる・・・(^^;;)も使われることがある。
十七絃箏用になると、もっと大きな、高さ8.5cm前後のものが使われている。
箏爪(ことづめ)
通常の演奏の時、右手の親指・人差し指・中指につける義爪のことで、たんに「つめ」と呼ばれる。
現在、俗箏界を二分する生田流と山田流では、爪の形状が異なる。また、爪の形状により、演奏時の箏に対する姿勢がかわる。
生田流:角爪→箏に対して斜め中央向きに対峙する
山田流:丸爪→箏に対して真正面に対峙する